2010年08月26日

芥川龍之介の「秋」

清張は芥川龍之介を尊敬するという。
芥川の「お富の貞操」が猫を題材にしていると猫雑誌に紹介があったので、短編集を購入した。
芥川といえば、今昔物語集や宇治拾遺物語集を題材に翻案、彼自身のアイデアを盛り込んだ所謂「王朝もの」の印象が強い。
(当時の)現代ものはあまり読んだことがなかった。

短編集のなかに「秋」という作品がある。
当時は裕福なインテリ女性であったであろう女子大学卒のヒロインには、周囲も本人たちも結婚を意識したであろう従兄がいた。

ところが、彼女は突然別の男性と結婚した。仲の良い妹も従兄を好きであり、彼に宛てた出す前の手紙をどうやら姉が読んだらしい。
姉が妹のために従兄をあきらめたという、申し訳なく思う妹の手紙。
まもなく妹は従兄と結婚。

姉は文才に優れ、級友たちは「いつ女流作家としてデビューするのだ」と思っている。
夫は妻の文学に対する思いに理解がない。
芥川の周辺にもそういう人がいたのか?
「戯作三昧」の中にも滝沢馬琴の妻が夫の創作活動に理解がないという描写がある。
「秋」のヒロインの元恋人は、文芸雑誌に作品が掲載されるようになる。
彼女はあきらかに自分と考え方が似ている男性をあきらめ、そうでない男と結婚したのだ。

松本清張の「遠くからの声」。

ヒロインは、姉の夫を姉の婚約時代から恋い慕い、義兄もその思いに気づいているし、気にかけてもいる。
ところが妹は次々にそれほど好きでもなさそうな男と結婚したり駆け落ちしてみたり。
東京から福岡の田舎にまで行ってしまう。
姉が婚約時代、父親が婚約者と2人で出歩くことにあまりよい感情を持っていなかった。
だから姉は妹を利用し、3人で出かけることが多かった。
そんな中で妹の行動が度を越していると姉が気になることがあった。
とうとう妹は新婚旅行先にまで訪ねてきてしまう。
森の中を散歩する際、妹が「お兄さまぁー」と呼ぶ声。
この場面が後に暗示するものは…これから先は言うまい。

芥川の「秋」を読んでいて、「逆のパターンだけど、似ているな」と思った。
清張はこの作品が頭にあったのだろうか。
芥川は漱石の弟子の1人であるが、漱石となると文体が古いというかやや難解なものもある。
これが弟子の世代(他には内田百閧オか読んでいないが)になると、今読んでも古くない。むしろ今の時代と変らない、普遍的な作品が多い。

「一塊の土」という作品。
一見、義理の母に対して孝行な夫を亡くした嫁。
義母としては、嫁が早く再婚してくれて自分が引き受けている孫の世話や、家事を嫁にやって貰いたい。
それが嫁は男以上に畑仕事に精を出し、一向に再婚しそうに無い。
周囲には孝行な嫁だ、と義母の不満など取り合ってくれない。
この話、現代にもあることのような気がするが。

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2009年12月24日

文学における食べ物の描写

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文学における食べ物の描写

有吉佐和子の「和宮様御留」

江戸幕末近い「公武合体論」において重要な役割を果たした
皇女和宮と徳川将軍家茂の婚姻。
その和宮の東下の際、皇女である和宮が替え玉であったという大胆な発想。
本作品の発表当時は大層センセーショナルであったと言う。
歴史家諸氏も有吉氏の才能と意欲は認めても、
「荒唐無稽」と嫉視めいた冷笑。

しかし、現在ではテレビの歴史ミステリーを扱った番組などを見ていると、
和宮=替え玉説は最早、定説となったように見受けられる。
折からの歴史ブーム、幕末ブームで本作品と故・有吉氏が再評価されることを願う。

この作品の優れた部分を書き出すと沢山あり過ぎて纏められないのだが、
ここでは食べ物の効果的な使い方を挙げてみる。

其の一・お下がりと団子

最初に和宮の替え玉となるはした女、身寄りの無い少女・フキ。
彼女は明確な理由も知らされないまま、
勤務先である桂の御所(和宮と母である観行院のいる邸)で和宮と同じ衣装を着せられ、

生まれつきやんごとない皇女であったかのごとく、
女官たちにかしずかれ、身の回りの世話を焼かれる。
食すものも和宮と同じ…ただし、和宮の食膳に挙げられたもの、
和宮自身が食べ残したものを食べなくてはならない。
それも残ったもの全部を食べてはいけない。
宮の食が進まなれない時はそっくり下げられるし、あまり残っていない時もある。

茶人・藪内竹猗が桂の御所に呼ばれる。
宮に藪内流のお茶のご指南をいたすことになった。

この章が滑稽なのは貴人である宮に対し、
いかに高名な茶の家元である竹猗であっても「男性だから」という理由で不自由な稽古を強いられる点である。
茶の手前を教える竹猗は仕方ないとして、
彼の弟子たちは邸に入ることを許されない。
よって、重い風炉などの茶道具を師自ら
運び入れることとなる。
宮は貴い身の上であられるから、
茶の作法も本来の型どおりにやって頂こうとすると女官たちから
厳しいチェックが入る。
宮のご身分にあわせて奇妙な作法に変えられてしまった。

本来の作法とはかけ離れたお手前を終わった竹猗…
外で弟子たちが待っている。
お白湯ひとつお振る舞いも無かった師匠と弟子たちは団子売りの店に入る。

空き腹に団子、さぞや美味しかったことであろう。

同時に、当時の庶民の「小腹をみたす」おやつだったのかな、とも思う。
藪内流のお茶の作法を宮が習ったのは史実ではあろうが、
ここら辺りのコミカルな描写は勿論創作であろうし、
全体的に暗いこの小説の中で団子を味わうかのごとく、
息が抜ける場面である。


文学における食べ物の描写 その2
有吉佐和子の「和宮様御留」

其の二・花びら餅

和宮の替え玉である身寄りの無い少女・フキ。
その和宮に対し、にせものと分かっていながら終始一貫した手厚い態度を貫く女官・少進。
フキが本物の皇女であろうがにせものであろうが少進の態度は変わらない、
真のプロフェッショナル。

有吉の作品には主役ではないが、とても気風のよい脇役が多く登場する。

「悪女について」の宝石職人や元華族の骨董品店女主人。
「華岡青洲の妻」のヒロインの義妹。
「亀遊の死」の物語の語り部でもある三味線芸者(この作品は坂東玉三郎が演じた舞台などでは「振るあめりかに袖は濡らさじ」に改題)などなど。

「和宮様御留」では少進が実に気の利いた女性であり、
個性的な女性たちが多く登場するこの物語の中で良心的存在と言える。
ある意味、彼女の「親切すぎた」ことがフキを追い詰めた、という見方も出来るが…。
そう、「嵐が丘」の女中・エレンのような。

その少進がフキの前で別の女官・藤にそっくりな双子の妹として
登場していたころ。
少進の名前はまだ明かされなかったころ。

フキは直喜(川端にある粽屋?)が献上した「おあつあつ」を藤の妹に与えられる。
白い搗きたての餅を薄く丸く引き伸ばしたもので、菱形の紅色の餅に重ね併せ、
牛蒡と味噌餡ものせて二つに折って食べる。
「この世にこんな取りあわせがあろうかと思うほどの美味」であったそうな。

まだフキの生活が激変する前の「今日は、なんという日だろう」のひととき。
味噌も餡も紅色に染めた餅も、
当時の庶民が簡単に食べられそうにも無かった品々だったかもしれない。

藤が藤の妹に言う。
「ほな、頼んだえ」
この優美なひとことの重さ。
美味しい花びら餅をお腹いっぱい頂いたフキはその意味を知る由も無い。

三島や有吉といった育ちの良い作家たちは豪奢な生活を書くと、大層迫力がある。
衣装や建物、家具調度、食べ物、言葉遣いの優雅さなどなど。
幼い頃から知っていた事柄だから説得力がある。
その彼らが、庶民の生活を書かせてもまた大変に上手い。
「春の雪」と「潮騒」を書いた人が、
「紀ノ川」と「針女」を書いた人が同じであるとは。


作家のおやつ

好きな作家は複数いるが、文章の上手い人を特に好む。

これはと思う作品に出遭ったら、その人の他の作品も続けざまに読む。

そんな中で食べ物の描写が「美味い」人がいる。

読んでいて絵が浮かぶような美味しそうな文章。


「作家のおやつ」

コロナ・ブックスのうち、「作家の猫」も読んだ。

作家が家族として愛しんだ猫と、作家が愛したおやつたち。

蓋し、名企画である。


錚々たる作家たちと彼らを支えた妻、きょうだい、マネージャーといった人たち。

彼らもまた、文章が大変に上手い。

飛びぬけた才能を持った人を支える、彼らの周辺にいた上等な人たち。

ただただ、憧れる。


向田和子さんが姉・邦子氏を「姉」と呼ぶ時。

それは凡百の姉が敵わない日本一の姉だ。


この本の中で特に印象に残った項目は女優であり、文筆家でもあった沢村貞子と映画監督の小津安二郎。


沢村の自宅で供された献立日記。ここはレシピではなく、やはり献立である。

ノートは一冊一冊和紙の暦で被われている。
几帳面に鉛筆書きの線で分割され、記された沢村家の食卓の品々。

これはもう、「東大生のノートは美しい」の先駆けか?

「聡明な女の献立日記は美しい」である。


小津安二郎のグルメ手帳。

赤い手帳に見開きで東京のうまい料理店の名前、住所をジャンル別に記されている。地図つき。

これはグーグルマップを先取りしていたかのような。


トリュフォー監督は小津を尊敬していた。

仏ミシュランも日本料理店を評価する際、それを思い出して欲しい。

小津のこの手帳が展示されているという鎌倉文学館に足を伸ばすべきだ。



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コメント及びご訪問、有難うございます。
公民館とか、書き込んでいる途中でフリーズしてしまう場所もあるので
簡単な返事で失礼いたします。

Thank you for the comment to the BBS of my blog.
I often answer you from the computer of somewhere such as public hall.
So, it FREEZ all of the sudden when I answer you, it could be simple comment, just saying thanks.
Thank you for your understanding.
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2009年12月19日

芥川龍之介の「秋」

芥川龍之介の「秋」
清張は芥川龍之介を尊敬するという。

芥川の「お富の貞操」が猫を題材にしていると猫雑誌に紹介があったので、短編集を購入した。
芥川といえば、今昔物語集や宇治拾遺物語集を題材に翻案、彼自身のアイデアを盛り込んだ所謂「王朝もの」の印象が強い。
(当時の)現代ものはあまり読んだことがなかった。
短編集のなかに「秋」という作品がある。
当時は裕福なインテリ女性であったであろう女子大学卒のヒロインには、周囲も本人たちも結婚を意識したであろう従兄がいた。

ところが、彼女は突然別の男性と結婚した。仲の良い妹も従兄を好きであり、彼に宛てた出す前の手紙をどうやら姉が読んだらしい。
姉が妹のために従兄をあきらめたという、申し訳なく思う妹の手紙。
まもなく妹は従兄と結婚。

姉は文才に優れ、級友たちは「いつ女流作家としてデビューするのだ」と思っている。
夫は妻の文学に対する思いに理解がない。
芥川の周辺にもそういう人がいたのか?
「戯作三昧」の中にも滝沢馬琴の妻が夫の創作活動に理解がないという描写がある。

「秋」のヒロインの元恋人は、文芸雑誌に作品が掲載されるようになる。
彼女はあきらかに自分と考え方が似ている男性をあきらめ、そうでない男と結婚したのだ。

松本清張の「遠くからの声」。

ヒロインは、姉の夫を姉の婚約時代から恋い慕い、義兄もその思いに気づいているし、気にかけてもいる。
ところが妹は次々にそれほど好きでもなさそうな男と結婚したり駆け落ちしてみたり。
東京から福岡の田舎にまで行ってしまう。
姉が婚約時代、父親が婚約者と2人で出歩くことにあまりよい感情を持っていなかった。
だから姉は妹を利用し、3人で出かけることが多かった。
そんな中で妹の行動が度を越していると姉が気になることがあった。
とうとう妹は新婚旅行先にまで訪ねてきてしまう。
森の中を散歩する際、妹が「お兄さまぁー」と呼ぶ声。
この場面が後に暗示するものは…これから先は言うまい。

芥川の「秋」を読んでいて、「逆のパターンだけど、似ているな」と思った。
清張はこの作品が頭にあったのだろうか。

芥川は漱石の弟子の1人であるが、漱石となると文体が古いというかやや難解なものもある。
これが弟子の世代(他には内田百閧オか読んでいないが)になると、今読んでも古くない。むしろ今の時代と変らない、普遍的な作品が多い。

「一塊の土」という作品。
一見、義理の母に対して孝行な夫を亡くした嫁。
義母としては、嫁が早く再婚してくれて自分が引き受けている孫の世話や、家事を嫁にやって貰いたい。
それが嫁は男以上に畑仕事に精を出し、一向に再婚しそうに無い。
周囲には孝行な嫁だ、と義母の不満など取り合ってくれない。
この話、現代にもあることのような気がするが。

「赤ん坊を背負った音楽家」

友人が演奏経験が無いのにクラシック音楽をパソコンで作曲することにハマり、ブログまで上梓した。

井上ひさしの「ブラウン監獄の四季」に収録された「赤ん坊を背負った音楽家」を思い出す。

井上氏がお世話になった音楽家で破天荒な方がいるとか。

電車のホーム反対側にいた、楽譜か何か持った女性に一目ぼれ、ホームを乗り越えて!同じ電車に乗る。
彼女の後をつけ、家までついていく。
帰宅した家の中からしばらくしてピアノの音が。
家のチャイムを鳴らし、世帯主の父上と面談。
「ピアノを弾いているお嬢さんと結婚したい」
「駄目です。彼女はイタリアの権威あるナントカコンクールに2位入賞した音楽家と2年後結婚する」
「では私はナントカコンクールに1位入賞してみせます、その時はお嬢さんをください」

この男性、大学に退学届けを出し猛勉強して音大へ行き、本当にナントカコンクールに1位になったそうだ。
そしてとうとう、その女性を「うん」と言わしめた。

ところがこの男性、後に自分の気に入った音楽家でオーケストラを組んで指揮をする際、音楽理論はあっても経験による耳が伴わない。
演奏家が間違ってもそれを指摘できない。
演奏家に軽蔑されはじめた。
そこで彼はオケにピアニストとして奥方を招聘。
複雑なブロックサインで演奏の間違いを教えてもらう。
皆の尊敬を取り戻す。

時に、指揮棒をならす背中に赤ん坊が気持ちよさそうに眠っていることもあったそうな。

…というわけで、門外漢の人でも努力すればどうにかなる、という好例でした。

松本清張の「顔」

一体、俳優で「映画の主役を張るようになる、徐々にスターダムにのし上がって全国的に顔が売れるようになることを怖れる」人がいるだろうか?
もし、ドラマのキャッチコピーを作るならそういったところであろう。

NHKで松本清張原作のドラマ「顔」が放映された。


主演の谷原章介は年齢が高くなってからブレイクした俳優で、そういった方が活躍されるのは嬉しい。
それも日本の俳優は30歳過ぎてから、元々正統派の美男子だったのがある種の美しさを発揮する人が多い。

この原作の短編は舞台俳優。
美男子ではないが印象に残る個性的な顔」が主人公である。
谷原はその役柄にちょっと線の細い美男すぎるが、声や話し方が良くて陰影のある演技も申し分なかった。

他にも大地康夫、高橋和也(主人公と役を入れ替えても良かったかも)、名前は知らないが1人2役のヒロインがいかにもNHK好みの正統派女優で熱演だった。

この短編の原作で印象的な食べ物が2つ。
それは夏みかんと京都名物の「いもぼう」である。
汽車の中で若い恋人同士に食べられる夏みかんは缶入りドロップに換えられていた。
女にドロップを勧められた男がいらない、という素振りはこの2人の関係を暗示していて悪くない演出ではあったが。
汽車と蜜柑、という組み合わせはおそらく清張が尊敬する芥川龍之介へのオマージュであろう。
その意味では変えて欲しくなかったが。


このドラマは他にも原作を大きく変えた箇所がいくつか見られた。
ほぼ同時期に放映された民放の「火と汐」は比較的原作に忠実で、携帯電話という原作の書かれた時代にはなかった小道具もうまく使われていた。
原作に敬意を表しつつ、変えるのは別にいいのだが私は「火と汐」に軍配をあげる。


「顔」のラストシーンで「砂の器」を思い出すという人も多いであろう。
この作品は他の短編と共に英訳も出ている。
戦後のヤミ市で物資を仕入れた人々が駅で警察に捕まり、物資を取り上げられる。
警官に賄賂を握らせて見逃してもらう…当時は多くあったであろう状況をドラマに入れたのは良い演出だった。

かつてNHKで放映した松本清張ドラマも見てみたい。
今後、ドラマ化するなら「二階」「距離の女囚」がいい…と個人的に思う。

山田詠美の「ジェシーの背骨」

「ジェシーの背骨」
数年前に読んでいたのだが。

自分は基地の町佐世保に住むので、彼女の書く世界は割りと入っていき易い。
ああこの男性は多分船の上ではなくて地上勤務なんだろうな、とか。
横田(福生?)基地って空軍?海軍?知らないけど。

彼女のエッセイにあった恋人の連れ子とのエピソードと、おそらく実話に基づいたこの小説と混同していた。
「あれれ、山田さんの実家のお母さんたちとこの生意気な少年のエピソードが無い」って。
その部分は小説ではなく、エッセイにあったのだ。

山田さんの母上は「正しいお母さん」であって、山田さんが恋人の息子に対してはおっかなびっくりで出来ないでいることを平気でやってのける。
そして彼もまた、一見嫌がっているようでいて嬉々として肝っ玉母さんの軽い叱責を受け入れる。
彼は子供らしい扱いや愛情に飢えていたのである。

小説のラスト近く、ヒロインのココ(山田さん自身?)が重大な決心をしかかる辺りで恋人父子が取った行動を読んで思い当たることがあった。
ココは父子の作戦?にしてやられるのだ。
まるで雨の日に母子連れで現れる野良猫のようだ。
…ってこの感想、私が猫好きだからつい、出てくるのだけど。

山田さんの熱血ポンちゃんシリーズの中にある1コマ。
地方の温泉地を友人と訪ねた時のこと。

真っ白い猫3匹に挽かれてうろうろしていたら、おばあさんが現れる。
人懐こい猫たちとおばあさんに導かれるように旅館の方向へ帰りかかると、彼らはいつの間にかいなくなっている。
山田さんは何か神がかった象徴的なことのように捉えているのだが。
別にい、猫とお世話人が決まった時間に決まった場所に集まる猫集会ですよー、深い意味はないですよー、多分(笑)。

林真理子の毎日新聞連載「下流の宴」がご本人ブログによると、最終稿書き終えたそうである。

ヒロインの玉緒は今までの林作品にいなかったタイプの女性。
とても可愛い(容姿ではない)、愛すべきキャラクターである。
今までの作品ではもう2人のヒロイン、由美子と娘の可奈のような女性はたくさん出ていたのだが。

玉緒の周辺にいる、親切でややからかい気味に彼女の受験勉強に協力するエリート男性たちも面白い。
ゲイのスタイリスト、美容整形外科医、進学塾経営者とトップ塾講師、元エリートのリタイア男性。
林さんの周りにいる男性たちをカリカチュアした人物像であろうか?

林さんも山田詠美さんも悪口の達人である。
イギリス在住の女性が書いたエッセイも借りたが、どうもタダの自慢話になっている箇所が気になる。
林、山田両女史の華麗なる人脈を書いた文を読んでも、井上ひさしや小林信彦のテレビ創世記のエッセイを読んでも、特に自慢話とは感じない。
それは彼らに優れたユーモアのセンスがあるからだ。

たとえば、清少納言だってお遣えする中宮定子の問いかけに応じて漢詩を引用しちゃったわよーん、あれも日本最古の自慢話かもしれないが。
あれとて、中宮様と清少納言自身に強力なライバル(彰子と紫式部)が出現するのだから、教養に満ちた女主人様とキャリアウーマンの女官のあうんの呼吸、と虚勢を張ってみせる必要があったわけだ。

あ、今調べたら(ウイキィ)「本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったものと見られている」だって。ゴメン。

まあとにかく、清少納言は日本発のユーモア女流(いちいち女性に「女流」といわれるのも差別かな?)エッセイストである。
ユーモアのセンスは卓抜しており紫式部とは対照的。
女性が何か書くと「子宮で思考する」とか何とかかれるけど、あれやめてほしー。


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