2010年07月23日

猫が忘れられること、猫に忘れられること…

僕、ねこだよ
ママがね、いないの
僕がちいさい頃
ママがね、しんだの

しぬ、ってどういうこと?
ママがいたこと
僕がいたこと
僕のちいさな心と
僕のちいさなからだと
大きな手が
抱っこしてくれたこと

みんなみんな
なし、になっちゃうの?

私、猫よ
こどもが、いたの
でも口に咥えてこどもを運ぼうとして
大きくて早く動くものが
どーんとぶつかってきて
こどもははんたいがわに飛ばされて
大きな手が掬い上げてくれたこと
霞んだ目が見えた

あの手の人は
私のこどもは
私のことを覚えていてくれるだろうか

私は、にんげん
この子猫を母ねこから
託されるように預かる前に
もう1ひき、ほかのねこが
すこし前に
どこかへいった

あの白い
あの長い
あの柔らかい毛皮は
私のことを覚えていてくれるだろうか

猫が忘れられること、猫に忘れられること…


キューリグ大名店が預かった「ぬいぬい」ちゃんの元飼い主さんの想いとは、かなり違うイメージで創作してみた詩ですが…ベタだなあ。
いえね、新しい飼い主さんが見つかってそのお宅でぬいぬいちゃんが幸せになるにせよ、
ぬいぬいちゃんが元飼い主さんを忘れてしまう?事を想像するともう、たまらないのですよ…。
覚えていても、忘れてしまっても、どちらも不憫だなあと…。


保坂和志氏の「猫に時間の流れる」ですと、こういった思いが実に巧く表現されており、
猛烈に嫉妬心を感じますな…凡人としては、だ。

海上遺跡

週間文春に幡野広志さんというカメラマンの海上遺跡写真が掲載。

海上遺跡…耳慣れない言葉だ。

長崎県の軍艦島のようなものだろうか。



誌面の写真を見たら、川棚と伊万里の海上遺跡が。

長崎県、隣接する佐賀県にこのようなものがあったのか。

近くに住んでいながら知らなかった。



幡野氏のブログや関連WEBを検索。

島の上に鳥居、という写真もあった。

これと似たような景色が佐世保市の九十九島でも見られる。



幡野氏の写真には島も無く、建物だけがぽっかりと海の中に鎮座しているものもある。

川棚と伊万里の海上遺跡がそうである。



何らかの理由でその場所に建てられた当時、島や陸続きの土地もあったのかもしれない。

なぜそこへ忘れ去られたように放置されているのだろう。


幡野氏の写真に想像力をかきたてられる。



幡野氏は茶白の猫も飼っておられる。

アーティストに猫、そうこなくっちゃ。




ニックネーム わかたかたかこ at 16:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする