2011年10月21日

猫,小説をつぶやくMeow! Cat小説をつぶやくNya

雨が降る。一日が長い。いつもの集会にニンゲンが来る時間。なにか億劫だが、一日行かないと次までが長い。隻眼のトラが来なくなった。尾長のクロにやられてからひどく憔悴していた。クロは俺を気にしているという。トラの兄いが次の跡目は俺だと予てから公言したからだ。俺は面倒な事は嫌いだ。
ぁん、ぁん。「何だあ、お前、初めて声聞いたぞ」俺は「蟹もいないんだよ、爺さん」と言いたいのだが奴等には鳴き声にしか聴こえないらしい。シンジンの目に蟹も土も葉も映っていない。あるのはただ、固まる前の柔らかい灰色の泥だけだ。俺は知っている。乾く前のあの泥が滑らかに塗り固められ、その上にウッカリ乗ったクロの子分が足を取られていたのを。「キジちゃん、あらまあ…」彼女がそっと奴の足を雑巾で拭ってやった。クロがまだトラの兄いに挑戦権を得ていない頃だ。

小路幸也「猫と妻と暮らす 蘆野原偲郷」より 「家に帰ると猫がいた。からからと格子戸を開けると玄関の上がり口にちょこんと座り、真ん丸い眼で私を見上げていたのだ。」「どこの猫だお前、と声を掛け、近づいても逃げようともしない。それどころか上がり口に腰を掛けた私に身体を摺り寄せてきた。人懐こい猫だな、と思いながら、奥に『ただいま』と声を掛けた。」「妻の返事がない代わりに猫がにゃあと鳴いて私を見上げる。」「思わずそう呟くと猫が頷いた。いや頷いたような気がした。」
冒頭部分の描写は完璧である。明治大正の文豪達の文章を読んでいるかのような錯覚を起こす。時代設定もどこか定かではないが、現代ではなさそうな。しかし、読み進むにつれ、予想と違う方向へ行きだしてそれが面白く読めるかというと分からなかった。

曽野綾子「ボクは猫よ」より 「『おい、ネコ、お前、魚欲しいか。イワシはうまいぞ』くれるかどうか何も言及してはいない。しかしボクは、サービスとしていかにも欲しそうに、一言にゃあと啼いておいた。」「その猫は、三毛の雌であった。彼女がどこから来たのか、ボクは知らない。ただ、彼女はのっそりのっそりと垣根を越えて、この家の庭に入って来た。そしてレースのように繊細な影を落としている柿の若葉の下に立って、しばらく庭に見入っていた。」
Gandee Vasn "Cat Capers (いたずらな猫たち)" 翻訳(友久ますみ) 

黒澤明監督「まあだだよ」の劇中劇!?「ノラや」のパートだけを録画した。ノラがいた頃どれだけ可愛がっていたか、を映画では特に強調しておらず(私にはそう見えた)、ただただ失踪後の内田百阨v妻の悲嘆ぶりを、原作を読んでいない黒澤映画ファンは唐突に感じたかもしれない。この映画での松村達夫もNHKの猫と芸術家特集で百閧演じた石橋蓮司も熱演だったが、外見が百閧ノ一番似ていたのは同じくNHKの特番でミムラ演じる向田邦子の父役を演じた俳優(山田明郷?)であった。

梶井基次郎 「のんきな患者」より 
「吉田はいよいよ母親を起こそうかどうしようかということで抑えていた癇癪を昂ぶらせはじめた。吉田にとってはそれを辛抱することはできなくないことかもしれなかった。しかしその辛抱をしている間はたとえ寝たか寝ないかわからないような睡眠ではあったが、その可能性が全然なくなってしまうことを考えなければならなかった。そしてそれをいつまで持ち耐えなければならないかということはまったく猫次第であり、いつ起きるかしれない母親次第だと思うと、どうしてもそんな馬鹿馬鹿しい辛抱はしきれない気がするのだった。」

桐野夏生「だから荒野」より  「その拍子に、浩光の膝から、飼い猫のロマンがずり落ちるようにして床に降りた。ロマンは太っているので、動作が鈍い。 ちなみに、『ロマン』などと、ふざけた名前をつけたのは、浩光である。朋美は知らなかったが、フランスに『ロマン・ロラン』という作家がいるのだそうだ。」「しかも、姑の美智子は、何度教えても『マロン』と呼ぶから、笑ってしまう。 子猫のロマンを貰い受けて来たのは、浩光だった。」「飲み屋のママのところの猫が子を産んだから、貰い手が付くまで預かる、と言うので、いずれ返すのかと思っていたら、猫はそのまま家に棲み着いてしまった。」「朋美は猫が好きではないので、正直、迷惑だった。猫の毛を掃除するのも、砂を替えるのも面倒臭い。ロマンの方もわかっているのか、朋美にはまったく懐かない。」「浩光がパンツの膝に付いた、猫の毛を払い落としながら言った。」

米原真里「打ちのめされるようなすごい本」の「新居の猫と待望の和露辞典」より 「P・ネヴィル著『猫に精神科医は必要か』を覗きたいのだが、引っ越し騒動で気の遠くなるような未整理の本の山の中に紛れ込んでしまって、」「今までわが家の猫が問題行動を起こす度にお世話になってきた」
転居後の家の中の猫という一番必要な状況で肝心の本が荷物に紛れて見つからない…真里さん、ユーモラスな描写です。

工藤投手がダイエーに移籍した後のチームの大きな変化を思えば、杉内投手の巨人への移籍の役割を思う。もし巨人開幕投手が杉内で、あるいはホークスの開幕が帆足、細川バッテリーという事態になったら、鷹ファンとしては複雑(開幕投手予想で既に心配妄想)。なんぼ「背番号18番」を提示されても、入団前と後とでは違うでしょう、巨人という球団は。自信も実績もある選手ほど苦しいことがあるはず。
林真理子 「花探し」より 「『もうその人のことを愛してないからって言って、後足で砂をかけるようなことは出来ないわ。』「が、自分がたとえようもなく美しい猫になったような気がした。真白い毛並のペルシャ猫だ。片足を伸ばし、ポンと砂を蹴る。」「しかしこの“後足で砂をかける”という言葉は、予想以上の効果があったようだ。」
文春文庫「私の死亡記事」の米原真里「終生ヒトのオスは飼わず」より 「死因は狂犬病と推定されるが、」「肺に大量の猫の毛が詰まっていて、」「野良犬たちに前夜に食べ残したビフテキを配ったところ、一匹に手を軽く噛まれたのが命取りになった。」「喪主は故人の遺言に従い、養子の無理さんと養女の道理さんが務めるが、両名とも猫であるため、念のため人間を代表して」
森茉莉 「私の美の世界」の「夢を買う話」より 「彼女は足の裏まで黒い黒猫で、柔らかで滑らかな毛皮の中に、濃藍色の目玉を薄緑色が囲んでいる、大きな眼が嵌っていて、猫を最も厭らしくするところの、あのニャーゴという声を、生れてから死ぬまで決して発しなかった。」「猫族の中で特に誇りが高く、腹が減ると鰹節飯や魚をおく新聞紙のところに、私に背を向けて座った。」「『私の夢の中でお前は脚が鳥で頭が猫の怪物と一緒に空を飛んでいた。お前は毎晩、どこへ行ってくるのだ?』と。」「死ぬ日の午後、寝台の下から私を見て、一声啼いたお前の声は今でも私の胸を掻き毟る。」「何故ならお前は自分が猫であることも知らず、死というものを知らずにいて、そのために幸福だった。それが、最後の日になって、やっぱり何かを感じたらしかったからだ……。」
鴎外の娘である森茉莉の作品を初めて読んだ。中野翠氏が絶賛し憧れる作家なので興味はあった。父鴎外でさえ作家というよりは翻訳家と断じる。猫を書いた文も何やら詩的で翻訳口調の箇所も。

ニックネーム わかたかたかこ at 15:16| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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